授業モード

今年の大学院の集中講義(統計物理)に、この大学の出身で、脳研究ではよく知られた方を招いて、物理の学生に脳の話を聞いてもらった。先方は随分と気を遣ってくれて、初歩的なことがらから始めて、雑談を交えながら脳科学の現状を概観し、後半で情報理論を使った神経パルスの解析という、ややテクニカルな(けれどもその枠組みはとても一般的な)内容に立ち入った。

出席を取ったこともあってか、参加者は多かったが、特に初日は居眠りしている学生も目立ち、質問も無く、その先生はすっかりしょげてしまわれた。

授業中に限らず、この大学の(日本の?)学生はとても「おとなしい」と皆が言う。学生達もこちらがそう思っていることくらいは百も承知だろう。

学部は違うけれども私もこの大学の出身者で、学生の頃、暑い夏場の午後などに(当時は教室にエアコンは無かった)皆がどんよりとした空気を漂わせていると、あぶらギッシュな教授から、「なんだ、その腐った魚のような目は!」、みたいに喝を入れられたものだ。そんなときは、

「まあ、確かに、活発に質問があったり、学生のリアクションがすぐ目に見えたほうが良いには違いないけれど、こちらだってそんなに気の利いた質問は思いつかないし、だいいちセンセーの話もつまらないし、結局、自分で後から勉強しないと解らないわけで、あー、なんでこんな暑い部屋に閉じ込めらた上に、小言まで聞かなければならないのだろう・・・」

などと思った(と思う)。

今になってみると、講義なんてつまらなくても仕方がないと思う。だって、学生は何が大切で面白いかがわからないから勉強しているわけで、先生は(自分の視点で)、いま君たちにとってこれこれが大切で、これからその方面が面白くなるぞ、と講釈しているわけだ。当初から学生の関心に合わせた講義などあり得ないだろう*1。そこが講義とTVのショーとが決定的に違っている点で、テレビは芸人のほうが視聴者のレベルに内容を自動調整してくれるから、気楽に観ることができるし、趣味が合わなければチャネルを変えればよいだけだ。

*1 そうは言っても、学生側の知的好奇心のスペクトルが広くなければ、万事、「ボクには関係ないもんね」で終わりかねない。そこのところで、「教養」がとても重要になってくると思う。大学に入って最初の半年は、専門書以外の本を週に1〜2冊のペースで読むだけにして、それについてエッセイを書かせたり、内容について教員とディスカッションするだけでも十分じゃなかろうか。

ただ、それにしても、最低限押さえておかねばならない教え方の基本はあるのだろう。私は教員免許を持っていないし、学生の頃は講義をサボってばかりいたから、「正しい教授法」については全くの無知である。この夏は、滞っている研究はもちろんとしても、教え方について、今更ながらではあるけれども、勉強してみようと思っている。

集中講義の初日が終わった後、その先生は昔からの友人と酒を酌み交わし、学生のリアクションが最低だったことを嘆いたそうである。それを聞いた友人は、講義を行う上でのいくつかの基本事項を伝授し、彼はさっそく翌日の講義でそれを実践してみた。確かに、前日に比べ、スリープモードになる学生は激減したのだった。


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