論文審査の時期になって、研究室内や大講座で、何度も論文発表の練習を行う。きっと、どこの大学のどこの研究室でも、同じような光景が見られるのだろう。
僕が学生の頃にも研究室での発表練習会はあったし、それなりに緊張して望んだ記憶もあるのだけれど、それは今から思えば、牧歌的とも言えるくらい、全てがおおらかだった。パワーポイントなんてものはそもそも無いし、カラープリンターさえ無かったので、ほとんど手書きでOHPを作っていた。実験データや論文からの引用図などは、まず、そのコピーを紙に貼り付けておいてから、それをOHPシートにまたコピーして、その上からペンで必要な箇所を加えた。
何度もコピーしているうちに、図にはたくさんのノイズが浮き出してえらく見苦しくなっていたり、手書きの箇所を拭き消した後のインクが滲んでしまったりと、いまどきの綺麗なデザインのPPTスライドと比べると、原始人の壁画以下とも言えるくらいのクオリティーだった(少なくとも、僕のスライドは)。でも、いくら手書きの字が汚くても、「人のことは言えない」し(大体、学者は字が下手な場合が多い)、内容は別としても、プレゼンについてあれこれ言われる機会は、今よりはずっと少なかったように思う。また、偉い先生方は、面白くて含蓄のある話をされることはあっても、プレゼン自体が旨いというわけでもなかったりする。
だから、指導と称して学生のプレゼンにあれこれケチをつけるのには、いつも少なからずある種の罪悪感を覚える。そして、ほぼ100%確実なのは、そう遠くない将来、彼らが今の僕と同じような立場になったとき、若い人に、きっと僕から言われたのと同じようなことを言っているに違いないことだ(いいこともわるいことも)。