同じ講座の同僚が理学研究科の自修会委員をしていて、随分と前に、その予算でピアノを購入するという話しがあると聞いた。このようなご時世もあってか、自修会の活動はそれほど活発ではなかったらしく、スポーツ大会の景品類以外にはあまり大きな出費が無かったので、ピアノを買えるくらいのお金が繰り越されているらしい。
私の場合、自修会費は年に3000円で、学友会の会費1000円と合わせ、4000円/年も持って行かれてしまう。学友会については、邦楽部の運営でお世話になっている立場でもあるので、1000円では申し訳ないくらいかもしれない。一方、自修会費はスポーツ大会の景品のために3000円はちょっと高すぎるような気がしていた。
もっとも、以前の職場(研究所)にも同様の親睦団体があって、そこは三ヶ月あたり4000円ほど召し上げられていたように思う。会費は給料の何パーセントと決まっていて、事務が自動的に金額を算定するので、全くごまかしがきかなかった。そうして強制的に集められた会費は、豪華なパーティーや旅行などの遊興費に消えて行ったのであった。それに比べれば、自修会費は格安で、しかも、その使途を学生も含む委員会の話し合いで決めるのだから、かなり正常に思えるが。
ちゃんと事実を知らないで文句を言うのはフェアではないので、自修会のホームページ(事務系のサイトよりも充実しているかもしれない?)をちょっと覗いて見る。すると、平成17年度は、会費収入が100万円ちょっとであるのに対して、支出も100万円ちょっとで、きちんとバランスしている。活動費が適正に使われているとすれば、会費の額も適切ということになるだろう。
むしろ、決算書を見ていてちょっと不可解なのは、大学のオリエンテーションや、オープンキャンパスなどの公式行事に結構な額が使われている点だ。大学の行事に、何故、学生も含む会員のポケットマネーから集められたお金を充てなければならないのか、不思議な気がした。今度、委員に尋ねてみることにしよう。
ともあれ、大きな繰越金がそのままにされ、「裏金」的に取り崩されるのがいちばんイケナイことのように思う。これまでに自修会はコンサートの実績も積んでいるので、この機会にピアノを購入するのは全くもって結構なことじゃなかろうか、と私は思う。
昔々、短期間だったけれども、アメリカの大学でポスドクをしていたことがある。かなり歴史のある建物の階段の広い踊り場のようなところに、古いアップライトピアノが置いてあった。そのピアノには「弾くな!」と(もちろん英語で)書かれてあった。ある時、同僚とそこを通りかかったら、彼はピアノの前に座り、突然、エリーゼのために、のサビの部分を弾き始めた。ちょっと音はズレていたけれど、彼の情熱が心に響いた。そのピアノは、研究にとって何の足しにもならなかったかもしれないけれど、そこにあるべきもののように感じられた。
自修会で購入予定のピアノはサイレント式とのことで、「弾くな!」の表示は必要ないらしい。