大学をあまり知らない人と話しをすると、「夏休みはどのくらいあるんですか?」とか、「授業以外は何をしているんですか?」というような質問をぶつけられることが多い。大学のセンセーの仕事内容について、具体的なイメージはなかなかつかみにくいのだろうと思う。でも、それはどんなサラリーマンの仕事だって同じことで、例えばIT産業の管理職が普段どんな仕事をしているのかなんて、私はほとんど想像できない。
具体的な内容はともかくとして、大学のセンセーについての世間的にほぼ一致した認識は、仕事の内容はどうであれ、彼らは普通のビジネスマンほどには忙しくはないだろう、ということではないだろうか。
それは、たぶんあまり外していない認識だろうと思う。
このごろ、会う人、会う人、「忙しい」、「時間がない」、「会議ばかり多い」、「研究に専念できない」、「学生に手がかかりすぎる」といった類の不満をおっしゃる。法人化とほぼ同時に色々な仕事が急に増えて、何かの問題や課題が発生すると、上はそれをほぼそのまま下に丸投げするので、結局、上から下まで同じように「雑用」に追われる、という状況のようだ。
「研究第一主義」を掲げているこの大学に身を置く者としては、研究が滞ることを何よりもストレスと感じる(こんな私でさえ)。我々は会議などで細切れになった時間を有効に使うワザにはあまり長けていないし、複雑な計算やプログラミングには相当の集中力の持続が要求されるので、しばしば割り込みが入ると、頭を元の状態に戻すだけでも大変なのだ。研究は結構泥臭い作業なので、例えば理論計算であっても、黒板に数式をすらすらっと書いて、ハイおしまい、なんてことはあり得ない。研究に終わりはないので、いくらでもやることはあるし、ちょくちょく「成果」の報告も求められる。分野によっては競争相手も多いだろう。かくして、心中はいつも穏やかでいられない(=忙しい)。
けれども、そうしたストレスの分をさっ引いてしまえば、案外と労働時間内可処分時間もあって、今以てそんなに悪くない仕事である、という考え方もできそうだ(少なくとも私のようなヒラ教員は*1)。
*1 組織の長や執行部の方々は実に献身的に働いておられると思いますし、皆がそうであるというつもりはありません。
話しは変わるが、あるFDの講演会に出席したら、授業で学生とのコミュニケーションを取るひとつの方法として、「授業が終わっても、しばらく教壇の前に居残って、ヒマそうにボーっとしているとよい」と教わった。先生が忙しそうだと、学生はなかなか声をかけにくい。先生がヒマそうだと、「あれ、ちょっと質問してみようかな」という気になりやすいのだそうだ*2。
*2 学生だった頃のある語学の先生は、あまり忙しそうには見えなかったけれども、その授業が終わって僕が教室を出る頃にはもうバス停に立っていた。
「そうか、ヒマか」とそのとき思った。そういえば、私が学生だったとき、研究室のスタッフはよく日中からテニスをしていたし、旅行やスキーに出かけては、昼真からビールを飲んでいた。彼らが日頃から一生懸命研究に打ち込んでいることはよく了解できたが、決して「忙しそう」ではなかった。そのくせ、その方面では世界的に見ても結構アクティブにやっていたと思う。
そこで、せめて忙しそうにするのは止めよう、と思い、学生や周囲の人たちに「ヒマ人宣言」を行った。けれども、何せ人間のスケールが小さくて、ちょっとした用事が重なるとすぐに【忙しいモード】になってしまう。
どこかにヒマの極意を教えてくれる指南所があるなら、月謝を払ってでも、行きたいものだ。