携帯電話は持たないでここまで過ごしてきたけれど、とうとう、PHSを入手してしまった。「僕には携帯など要らぬ」というテーマを巡って、妻とは何度も口論したような気もするけれど、「いったいあれは何だったのだろう」というようなことは、人生にきっと数え切れないくらいあるだろうし、このことも、じきに記憶の地層の中に埋もれてしまうだろう(そうであってほしい)。
PHSといっても、発信できるのは3カ所だけの、子供や老人向けのプランで、しかも、いつも電源オフかマナーモードのどちらかになっているので、事実上、電話としては機能していない。メールは、使おうと思えば使えるが、インターネット機能は最初から付いていない。それでも、事故などの際にどこからでも連絡できることを思うと、月1000円分くらいの「安心」は得られたような気がする。
この小さな電話機を購入するまでは、携帯の取り方や、かけ方など、基本的な操作方法を全く知らなかった。そんな事情があったので、たまに行く自動車の整備工場では、作業を依頼した客にPHSを預けて、終わったら担当者から電話をかけてくるのだけれども、電話機は必ず妻に持ってもらうようにしていた。大げさからもしれないが、突然電話が鳴っても、どうリアクションして良いのかわからず、パニックになることを恐れたのだ。しかも悪いことに、担当者はすぐ目の前に居たりする(だったら、最初から電話なんて使わないでほしいものだ)。
意識にのぼるかかどうかは別にして、その整備工場で僕が感じたある種の居心地の悪さみたいなものを、きっと、多くのお年寄りが感じているに違いない。「便利な世の中になったものだ」、と、「住みにくい世の中になったものだ」は、実は、同じことだったりするのではないか。