「大学入学者の減少とともに、これからは大学間で優秀な人材の獲得競争になる。ついては、大学のブランド力を高め、生き残りをはからねばならない」というような話しはどこの大学でも聞かれるし、実際に、この大学からもそのようなビラが回ってきたこともあった。
同僚らと、昼食を食べながら、大学のブランドって何だ、というような話しを何度かしたことがある。
誰でも考えるのは、良い(有名な)教授陣を揃えることだろう。実際に、それを実践するために、大学トップはあれこれ作戦を立てているというような話しも聞こえてくる。でも、案外忘れられているのが、立地条件というブランド力じゃなかろうか。
大学の本部は一部の研究所とともに、仙台市の一等地に立地している。たまに会議や仕事で出向くことがあるけれど、その度に、何て便利で、しかも大学らしい場所なんだろう、と思う。
それに対して、僕の居るキャンパスは不便な山の上にあって、バスは一時間に1〜2本、最終バスは21:50でおしまい。大学生協以外に食事や買い物をする場所も無い。天気の良い日は街の様子が綺麗に見下ろせるけれども、そのぶん、対岸の繁栄と対照的に、こちらが殺伐として映る。
僕は緑に囲まれたこのキャンパスが嫌いではないし、もちろんここは仕事場なのだから、周囲に遊興する場があって欲しいと言っているわけではありません。
随分前の話しになるけれど、ある先生が研究で帰りが遅くなったので、山から下界に続く道をひとりで歩いていたのだそうだ。そこに、暴走族のような連中の車がやってきて、車の中から、何だかんだとしつこく因縁を付けられたのだそうだ。もし、その方が血気盛んで、何か言い返していたりしたら、どうなっていたことか。
暗い夜道を一人で歩くのは「自己責任」だとしても、車を所有していない者は、何かの度にタクシーを呼ばなければならないことになる。 世の中が物騒になっているのは大学の責任ではないけれども、物騒な世の中にあって、構成員がそのことに余計な労力と出費を割かなくてもよいような配慮が、これからはますます必要になるのだろう。
東北大学が首都圏と有名大学と競争して、勝ち目があるとすれば、地方都市ならではの生活環境の良さではないだろうか。実際に、かく言う私も「青葉城恋歌」のイメージに惹かれて、岐阜県からはるばる仙台までやって来たのでした。まだ高校生だった僕は、きっと仙台は自然が豊かで、下宿のある坂道からは、太平洋が見下ろせて、(ついでに、その下宿には綺麗な娘さんがいて?)・・・、と、本気で想像していた。(現実は厳しかったけれども)。
もし理学部が市の中心部の片平キャンパスにあったとしたら、それだけで、大阪市の北部のあたりとか、福岡の郊外などと比べても、競争力が出てくるように思う。地方で、しかも山の中、というのは、例えそれがどんなに立派でも、あまり魅力的には聞こえないのではないだろうか。