数年前、家から車で少しのところに県立の図書館が移転してきた。林の中に、白金色の、まるで宇宙船のような建造物が横たわっている。通勤で毎日のようにその前を通っているけれども、実際に入館するのは年に数回程度といったところだ。それもほとんど喫茶店代わりに。
その日曜の午後も、コーヒーでも飲もうということになり図書館に立ち寄った。読書離れというのが全く嘘のように、広い駐車場は車で溢れ、老人から子供まで沢山の人がそれぞれの時間を過ごしている。そんな人たちを横目に、ホールを抜けて真っ直ぐに喫茶店に向かう。
外の雑木林を眺めながら はじめはコンクリート壁の装飾のことなどを話していたが、そのうちに、長年 街頭紙芝居をしてきた男性から図書館に寄贈された膨大な紙芝居コレクションのこと、そして、そのコレクションを図書館が廃棄しようとしたことなどを妻から教えられた。注文したコーヒーが来るころには、図書館の司書にはどうやったらなれるか、から、高校時代の図書室の司書をやっていた女性の思い出へと話題が移っていった。そんな話しをしているうち、ふと高校の化学の先生のことを思い出した。
その先生は「アボ」と呼ばれていた。化学の教科書に出てくるアボガドロの肖像に似ていたので、そんなあだ名が付けられたらしい。下宿の先輩に教えられ、よく見ると、確かにそっくりだった。いつも白衣を着て、木造校舎の階段脇の 実験準備室のような小さな部屋に居たように思う。僕が入学したときにアボはもう定年間際で、次の春が来ると長年過ごしたその高校を去った。体育館で最後のあいさつが行なわれ、壇上でアボは泣いた。まるで古い紙芝居でもめくるように、そんな記憶の断片が頭に浮かぶ。
図書館が廃棄しようとした紙芝居コレクションは市民の働きかけでその価値が認められ、今はここの目玉の一つとして、博物館のようなコーナーのガラスケースの中に展示されていた。