鳥海山

突然妻から電話があり、1900年生まれの祖母が亡くなったという。 「戦争」と言うと日露戦争のことだったりする、まるで歴史書のようなおばあちゃんだった。 休みをとって、妻の実家のある庄内地方の小さな町へ向かう。 はじめは雪が降ったり雷鳴が轟いたりだったが、何やかやでバタバタと数日を過ごした後でふと気づくと、雲は去り、鳥海山の白い頂が姿を現していた。 写真では山は平野の遠方はるか奥に鎮座しているように見えるが、実際にはまるですぐそこにあるかのようだ。 これまでに何度も庄内平野に出かけたけれども、このように山頂まで綺麗に見えることはそう多くはなかった。

この地方の風習や寺の都合などが重なり葬儀までに随分と日が空いてしまったために、早々としつらえられた祭壇の前で何日も過ごすことになった。 近くの親類が式の段取りなどのために毎日来てくれて、夜は少し酒も入る。 そうすると、どうしても昔話などに花がさく。

義父が子供の頃の葬式では、火葬場まで行列が行なわれていた。 葬列には、遺影や棺の他にも、色々なものが携えられた。 そのなごりで、随分と簡略化はされてしまったけれども、現在でも火葬場にでかける際には携行品の分担が決められる。 葬列の先頭は竹で作った梵天で、当時 それを持つのは決まって「XXXさん」と呼ばれる男性だったそうだ。XXXさんは地元の名士の息子で、少し発達に遅れがあったために子供達はそこの方言で「ふたっつ(二歳並み)」と呼び合っていたらしい。 そんなこともあって、当時の町では指を二本出してチョキの形にするとXXXさんを意味したようだ。 XXXさんはいつも兵児帯のカスリの着物を着て、町内を歩いていたらしい。 そして不思議なことに、どこの家から葬式が出ても必ずそれを見つけ、梵天を持ち出しては葬列の先頭を「いいのう、いいのう・・・」と嬉しそうに歩いたのだそうだ。

当時の町には、XXXさんの他にも、各家の日めくりをきちんとめくって歩く人や、小さなお堂に住み着いていた仙人のような人、女学校出の乞食などが、ある意味で自然に人々とかかわりを持ちながら暮らしていたようだ。 機嫌が悪いと XXXさんは子供達に石を投げるくらいはしたらしいけれども、別段深刻な事故や事件も起こらなかったという。

葬儀というのは不思議な場だ。 普段は聞くことのできないような話しが突然飛び出したり、人前ではしないような兄弟同士のちょっとした口論など、色々な場面でそれぞれのホンネが見え隠れする。 そして、その家のことやそれを取り巻く人々を、今までよりは(少し)分かることができたような気がした。


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