金平糖を作る

早川美徳(東北大学・教育情報基盤センター)

「世界一小さい金平糖と、日本一小さい金平糖というのがあるんです。」

この小文にさらに手を加えたものが、2010年発刊の寺田寅彦全集九巻(岩波書店)の月報に掲載されています。

物理関係の学会で、知り合いからそんな情報を得た。どうやら京都方面で土産物として売られているらしい。親切な方で、実家が京都ということもあって比較的簡単に手に入るらしく、わざわざ宅急便でそのサンプルを送ってくださった。包みの中には大きめの香水ほどのラベルの貼られた小瓶がふたつ入っていて、片方には、直径にして3ミリメートルほどで、確かに角の沢山生えた金平糖(日本一)が、もう一方には、直径1ミリメートルほどの、角の形はあまり整っていないものの、「星の砂」の様には見える金平糖(世界一)の粒が、たくさん詰まっていた。

金平糖(あるいは金米糖)といえば、なんと言ってもその可愛らしい角が特徴的である。そして、金平糖が科学的な興味の対象となり得ることを最初に明言したのが寺田寅彦であることは、間違いないだろう。彼自身、金平糖の角がどのようにして生えるのかについて、自身の随筆などで何度も言及している。

ここで「生える」と書いたのは、まさに、この菓子の製造過程で、「勝手に」角が生じるからで、職人が丹念に精密加工しているわけでは決してない。市販の、お菓子としての金平糖の直径は、数ミリから大きいもので1センチメートル程度で、それに比べると、「日本一」や「世界一」は確かに格段に小さい。そして、そんなに小さい金平糖にも、それなりの大きさの角が、きちんと生えているわけである。

では、金平糖はいったいどのようにして製造されているのだろうか。一般的と思われる製造法は以下のとおりである。

まず、大きな中華鍋を用意する。丸い鍋の真ん中に軸に設けて、それを中心にして鍋が回転できるように工作する。その際、回転軸は、鉛直方向から少しだけ傾けておく。ちょうど、南極の辺りだけ切り出された、できそこないの地球儀のような格好である。軸にはモーターを取り付けておいて、地球が自転するように、ゆっくり(毎分数回程度)回転するようにしておく。さらに、鍋は下からガスバーナーや電熱器で加熱できるようにしておく。

これで、お膳立ては整った。小さなザラメや、芥子の実など、小粒の粒子を何匙かすくい、鍋に投入する。そのときすでに、鍋は加熱され、しかも回転している。乾いた砂を板きれの上にを置いて、板を徐々に傾けていくと、あるところで、砂がざざっと「雪崩」を起こして斜面を滑り下りるだろう。回転する中華鍋の中では、これと同様の現象が、絶えず起こっている。というのは、鍋の回転とともに、粒子は傾斜のきついほうへと運び上げられるので、傾きが限界に達したところで、雪崩が起きるからである。つまり、この回転式中華鍋は、細かい粒子を程よい加減で攪拌する装置、と見ることができる。

このままでは、単なる「煎り器」になってしまうので、小さな粒子を種にして、砂糖の結晶を太らせなければならない。その材料になるのは、シロップ(高い濃度のショ糖水溶液)である。砂糖は意外なくらい大量に水に溶かすことができる。そして、砂糖を沢山含んだ溶液はかなり粘っこい。雪崩が起こっている粒子の上から、程よい粘度のシロップをかけると、攪拌によってシロップはじきに粒子全体に行き渡り、その表面を濡らす。

一方、下からの熱で、鍋の上はかなりの高温になっているので、粒子表面のシロップからは次第に水が蒸発していく。それに伴って、粒子の表面ではショ糖が結晶化し、粒子自体を太らせる。そのまま放置しておくと、水が全て蒸発してしまうので、粒子の表面が乾ききらないように、ときどきシロップを補給する作業が必要だ。

このような作業を数時間から数日かけてゆっくりと行ううちに、粒子の表面から「角」が自動的に生えてくるのだ。もちろん、加熱の加減、シロップの濃さと補給のタイミング、鍋の回転速度などを調整して、よい条件に整えないと、綺麗な角には成長しない。けれども、その条件は、それほど厳密なものでも無いらしい。また、菓子工場で使われている鍋は、直径が1メートル以上もあるような大型のものらしいが、それほど大がかりな仕掛けは必要なく、ロータリーエバポレータと呼ばれる小型のフラスコのような器具で作った金平糖の話を、以前にネットでみかけたこともある。

粒子の攪拌、濡れと乾燥、そして結晶成長の繰り返しの過程に、角の「タネ」になるような何かが仕込まれているとは思えない。とすると、どのような理由で角は発生し、その形や本数はどのようにして決まるのだろうか。

昭和3年の夏休みに、寺田の指導のもと、福島浩という学生が金平糖についての実験を行った。その報告は現在でも入手できる(福島浩「金米糖の生成と其形状について」理化学研究所彙報 七 (一九三〇))。これが、金平糖について科学的な立場で書かれた最初で、今なお貴重な文献と言えよう。その中で、福島は、製造業者からサンプルを取り寄せ、金平糖の角の数や角の高さ、角の出る方向などを調べている。また、円筒棒や球を使ったモデル実験を提案しており、例えば、ショ糖液で濡らした紙の上でガラスの丸棒を転がしていると、ガラスの表面でショ糖が乾いて析出するうち横縞状の凹凸が形成されるなど、金平糖の角のヒントになりそうな知見をいくつか得ている。

完全な円形から出発しても、何かの拍子に偶然に突き出た箇所ができると、それをさらに促進する作用によって、より大きな凹凸へと発展する。現代の用語を使うならば、これも一種の「対称性の自発的破れ」の例と見ることができる。こうしたアプローチは、現在の視点からでも、本質を見抜いているように思えるものの、角が発生する理由やその本数を決める要因が明らかになったわけではなかった。これは、理論的にも実験的にも、そうした問題を扱うための道具立てがまだ不十分だったからだろう。そして、現在まで、金平糖についての学術研究は、ぽつりぽつりとしか発表されておらず、筆者の知る限り、寺田先生からの宿題にきちんと答えた者はまだいない。

話は突然変わるが、研究室に配属になった大学院生にどのような研究テーマを与えるかは、大学教員の悩みどころである。学生の興味に関連のある事柄で、かつ、こちらの守備範囲であることが望ましい。その上、在学期間中にそれなりの結果が期待できるようなものなんて、そう簡単に見つかるわけはない。さらに、科学の守備範囲として、どのくらいまでが「あり」で、かつ面白いのか、については、なかなか判断が難しい。

数年前、研究室に配属になった大学院生(酒井勇)と研究テーマについて相談していると、彼から、金平糖の研究をしてみたい、との申し出があった。話をよく聞くと、どうやら寺田先生の著作に触発されたらしい。そのときの筆者の反応は、あまり芳しいものではなったように記憶している。

確かに金平糖の角は誰にとっても分かりやすくて親しみのある問題には違いないし、決定版と言えるような研究はまだ(そして今でも)知られていない。それに、寺田先生から、これも科学の守備範囲であることに、ある種のお墨付きをいただいているわけで、テーマに選ぶことは、さほど大きな冒険ではないのではないか、と読者は思われるかもしれない。

その一方で、研究論文にまとめるとなると、問題設定をきちんと行った上で、データに裏付けられた議論が求められるわけで、ちょっと考えただけでもおそろしく複雑なこの対象を、どのように扱ってよいものか、見通しが持てなかった。そんな訳で、その学生には「強くは反対しないけれども、そう簡単に落としどころが見つかるとも思えないので、そこのところは自己責任で」を念を押した。

ともあれ、冒頭で述べたのは若干異なる、回転ドラム方式の装置を試作し、研究室で金平糖を実際に作ってみることになった。加熱と攪拌、そして、シロップの供給さえできれば、装置の外形はどのようであっても構わないわけだ。冒頭に紹介した一般的な中華鍋方式をパルセータ式の洗濯機とすれば、我々の装置はドラム式ということで、そのくらいが一日の長か(?)。学生が器用だったこともあって、角の生えた金平糖を得ることはそれほど難しくなかったが、それでも、条件によっては、かなりいびつな結晶や、目立った角の生えない砂糖球も沢山生まれた。種粒子にはタピオカパール(デンプンの粉を球状に固めたもの)を用いることが多かったので、出来上がった金平糖はもちろん無害である。そのため、同室の大学院生達は、口が寂しくなると、我々の出した実験廃棄物をよくほおばっていた。

そのような実験を通じて我々は、(イ)球を種にして成長した金平糖は、最初は沢山の角が生え、それがだんだんと減じられて、最終的には二〇〜二四本程度の本数に落ち着くこと。(ロ)角の間隔を決めている主要因は結晶粒子の大きさそのものであること。(ハ)現象を理解するには、結晶表面でのシロップ液の流れ、粒子同士の接触とシロップの再交換などの複雑なプロセスをきちんと考慮する必要があるだろうこと、等を主張した。

図:温泉の露天風呂で見つけた凹凸

onsen-kompeitoh

そんな風に金平糖のことをあれこれ考えていた時期、とある温泉の露天風呂に浸かっていたら、岩風呂の表面に、金平糖の展開図のような凹凸が生えているのを見つけた(写真)。どうやら、炭酸カルシウムを沢山含んだ温泉に、岩の表面がひたひたと濡らされるうちに、結晶が徐々に成長し、このような角へと発展したようだ。流体の層で濡らされた表面で生じる結晶化と、それに伴う大きな凹凸パターン。そうした観点からは、この風呂場の凹凸と金平糖は、親戚同士であるといって良いだろう。

こうした温泉に関係した凹凸模様についても、すでに寺田先生が随筆などで言及されていて、筆者などは、結局、先生の手のひらで踊っているだけのような気分にさえなってしまう。