関連学習の時間

2016年12月6日
早川 美徳

この大学では、全学教育の授業の最後に「学生による授業評価」が実施されている。きっと、どこの大学でも同じような取り組みが行われているのだろうと想像する。

そのアンケートの質問項目の中には「関連学習」があって、その授業に関係する事項を1週間あたり何時間くらい学習したかが問われる。その回答を点数化すると恒常的に低いスコアであり、いまどきの学生達は授業以外ではあまり勉強していない、という結論が導かれる。レーダーチャート表示すると、「関連学習」の項目が目立って凹んでいる。そのことが、最近出席した教務関係の会議で話題になった。

アンケートを実施すること自体は別に問題とは思わないけれども、「関連学習」で一体何を計測したいのか、議論を聞いているうちに、頭が混乱してしまった。

どんな事業所でも、できるだけ仕事を効率的して、残業を減らすのが良いとされているはずである。サービス残業も「悪しき慣習」と見なされている。

こうした観点からは、同じ達成度(学生にとっては単位の取得)を得るために、「だらだら時間をかけて勉強する」のは、当然、避けるべき振舞いのはずである。とすれば、各科目の不合格者が目立って多すぎない限り、学習時間の短さは問題とならないはずで、むしろ、無意味に長過ぎる学習時間こそが是正されるべきであろう。そして学生達は、「無駄な」学修時間を削減し、限られた時間を効率的にサークル活動やバイトに費やしているという点で、とても合理的に振る舞っていると解釈すべきなのではないか。

何年も経ってから、昔、授業でやったことの意味や、その時々に考えている問題との関連性に気づくことはしばしばあるので、その意味では、「関連学習」は年単位で回答すべき事項なのかもしれません。

むしろ、(一度きりの)青年期に、授業に「関連しない学習」経験を沢山積むことが重要である、という価値観が否定されるようなことになったら、大学もいよいよおしまいだろうな、とさえ思う。

また、日本の学生は欧米に較べて学習にかける時間が少ない、といった指摘があちこちで見られるが、そこから「学習のゴールの設定のされ方が違うから」という以上のことが汲み取れるのだろうか?

学習のゴールについて議論しないまま、時間数に一喜一憂(?)するのは全く意味が無いと思うが、例えば、成績上位の者と下位の者とのパターンを比較したりすれば、指導の際にヒントとなる情報が得られるような気もする。

ところで、今年度、私自身が担当した科目(1年生向けの「情報」関係)の授業評価はさんざんであった。ほぼ毎年担当している科目で、例年、科目全体の平均よりはちょっと高い位の評価値だったところが、がたんと急降下してしまった。あれこれ原因を考えてみるに、科目内容が見直されたこともあって、授業での課題(宿題も含む)の量を増やしたことが大きく効いたのではないかと想像している。諦めてしまう学生が出ないようにと、授業終了後も1時間くらいはTAと教室に残ってケアをしたりもしたので、多少評価が上がるのではないか、と、淡い期待を抱いていが、それは完全に砕かれてしまった。

面白いことに、その一方で、「関連学習」の項目だけは、科目の平均よりも0.5ポイントも高くなり、全学教育全体のそれよりも高かった。また、D判定の者がはじめて0となった(残念ながら、毎年、若干名のD判定者を出していた)。

今年は、新しい事項をできるだけ盛り込もうとちょっと欲張りすぎたきらいもあって、色々と問題があったことは認識している。その意味で、学生による授業評価にはその辺りがストレートに反映された、と見ている。ただ、学生の授業評価で実のところ何が評価されているのか、数値やチャートの読み方は、なかなか難しい。